社会政策学会賞 選考委員会報告


 

第11回(2004年)学会賞選考報告

2005年5月28日


社会政策学会賞選考委員会
委員長  高木 郁朗
委 員  埋橋 孝文
     上井 喜彦
木本喜美子
     富田 義典

1. 選考経過

(1)選考方針の確認
  昨年秋の社会政策学会において、埋橋孝文(同志社大学)、上井喜彦(埼玉大学)、木本喜美子(一橋大学)、富田義典(佐賀大学)、高木郁朗(日本女子大学)の5人が社会政策学会賞選考委員に選出された。大会終了後、ただちに委員会を開き、高木を委員長に選出し、学会幹事でもあり、前期から引き続き委員に選出されている富田が主事役として従事することを決定した。
  この会合では、学会賞選考表彰規程の具体的な運用についての基本方針としてつぎの諸点を確認した。
 1) 規程にしたがい、学術賞1名と奨励賞複数名の選定が可能である。この場合、規程における表彰される「会員」という用語法は、作品そのものではなく、すぐれた研究業績を前提として「人」を表彰するという趣旨であると理解する。
 2) 規程の第2条にいう「顕著な研究業績」については、学術図書に限定せず、学術論文も対象とする(この点については結果的には候補作品としてはあがらなかった)ほか、たとえば、新書あるいは教科書のようなかたちで発表されたものであっても、内容上すぐれた学術研究を含むものであれば審査対象から除外しないものとする。この選定対象に関する方針は奨励賞についても適用する。
3) 対象作品のリストアップのため、選考委員が各自情報を持ち寄るほか、学会ホームページを通じて自薦・他薦を求める。また法政大学大原社会問題研究所作成の『社会政策学会会員業績一覧』を参照する。
  なお、今回の選考にあたっては、これまでに学術賞を受賞した会員は、授賞対象とはしないことも確認された。

(2)検討対象作品のリストアップ
  この決定にもとづき、選考委員のあいだで、メールをつうじて連絡をとりあい、自薦・他薦を含めて、候補作品をリストアップし、1)社会政策学会在籍3年以上、2)発表時期が2004年1〜12月、という表彰規程上の2条件をみたしているかどうかの形式審査をおこなった。その結果として、選考委員会において論議すべき対象作品として26作品がリストアップされた。
これらの作品につき、選考対象を絞り込むため、選考委員は、各自の専門に関わらず、検討対象業績を読むことが申し合わされ、4月9日に開かれた選考委員会において、リストにあがったすべての作品について、意見の交換をおこなった。この結果、テーマあるいは問題提起の斬新さ、研究のオリジナリティ、仮説の妥当性、仮説と実証の整合性、社会政策学会員としての研究の範囲、作品としての一貫性の各要素を考慮し、以下に言及する諸作品に検討対象を限定して、候補作品についてさらに精読し、最終選考をおこなうことを確認した。
  植田浩史『戦時期日本の下請企業』ミネルヴァ書房
  王文亮『9億農民の福祉』中国書店
  中村圭介、前浦穂高『公共サービスの決定と自治体労使関係』明石書店、における中村執筆部分(同書第1章、第2章、第3章、第5章、第6章)
  平地一郎『労働過程の構造分析』御茶の水書房
  谷沢弘毅『近代日本の所得分布と家族経済』日本図書センター
  矢野久『ナチス・ドイツの外国人』現代書館

(3)最終選考結果
  5月14日に行われた選考委員会では、全員一致で、つぎの会員(および研究業績)を学会賞として表彰することを決定した。

社会政策学会学術賞 …… 谷沢弘毅『近代日本の所得分布と家族経済』
社会政策学会奨励賞 …… 中村圭介『行政サービスの決定と自治体労使関係』の中村執筆部分
社会政策学会奨励賞 …… 矢野久『ナチス・ドイツの外国人』

  なお選外となった会員(および研究業績)のうち、 植田浩史『戦時期日本の下請企業』)、平地一郎(『労働過程の構造分析』)、王文亮(『9億農民の福祉』)の3会員については、すぐれた研究業績を達成したものとして、選考経過の公表のなかでとくに掲げるべきことも確認された。植田については、日本経済史領域のすぐれた業績ではあるが、社会政策学会としての研究領域の枠外にあると考えられること、平地については、労働過程論争に基礎をおく理論的側面にかんしては魅力的な見解を示しているが、実証研究との整合性が必ずしも十分でないこと、王にかんしては、膨大な実証データを駆使して、中国農村の社会保障の現実に迫っているが、政策決定者の意図についてふみこんだ検討がおこなわれていないことで、ともに授賞の対象とはしないこととなった。

2. 授賞理由

(1)社会政策学会学術賞・谷沢弘毅会員
  谷沢の研究成果は衝撃的な内容となっている。この研究は、直接的には19世紀末から1930年代にいたる戦前期の日本を対象として、富裕層と都市下層の2つの分野で、現在利用できる統計および個人情報を丹念に渉猟してデータベース化したうえ、計量的な分析を行い、所得格差の実態とその要因を究明しようとしたものである。このような手法を谷沢自身は、「バイオグラメトリクス=個人計量史学」と名付けている。衝撃的と表現したのは、収集・分析の対象となっている各種の統計および個人情報がきわめて広範であり、また地域間の比較分析が示すように、これまでの定説にたいして、説得的な反証が実に多くの点で行われているためである。
本書の前半部分は、前述の期間における大富豪の家計とその資産戦略の分析である。ここでは、地方資産家が資金の集積を進めそれを積極的に投資している状況が明らかにされる。この場合、地域比較をつうじて、近代産業への投資だけでなく、とくに初期においては農業分野への投資も資産保全に大きな役割を演じていることも明らかにされている。このような資産家による資産保全の活動のあり方においては、税制・家族法など制度的条件が大きな作用をおよぼしていることも綿密に立証されている。この研究の延長線上で戦後への展望がなされるが、農地改革、財閥解体、財産税などの戦後改革が資産家のあり方に大きな影響を与えたものの、一律に資産家の没落をうながしたわけではなく、戦後復興に貢献した資本家・経営者層では新たな資産形成も発展していることに言及されている。
  本書の後半部分は「方面カード」や「被救護者カード」を素材とした都市下層の家計と就業行動の分析である。この部分の圧巻は、故隅谷三喜男教授に由来する都市雑業層の研究に反省を迫っている点である。通説では都市雑業層は、農村からの流入の受け皿であり、産業労働者層とは分離された社会層をなし、そこでは恒常的に過剰雇用状態であったとされるが、谷沢の研究では、実際はその層は、かなり近代的な産業資本分野の労働市場とつながっており、近代的労働市場とつながりえた部分と雑業に留まった部分とが分解しつつあったこと、近代的な労働市場に参入した部分はとくに1930年代に入ると失業率が上昇し、失業が潜在化するような状態にはなかったとしている。むしろ高格差時代であった戦前期においては、それぞれの家計のもつ状況を反映しつつも、高格差時代であっただけかえって下層の人びとの上昇への、意図的あるいは無意識的な戦略行動が社会の活力を生み出した側面もあるという評価もなされている。こうした下層の行動のなかでの子どもの位置、また夫と子どもとの関係における女性の位置についての言及も興味深い。
  以上のように、谷沢の研究は、分析の方法論、実証データの収集と処理、実証をつうずる論争的な内容において、卓抜するものがあり、審査委員会としては、全員一致で学術賞にふさわしいものと判断した。
  むろん、谷沢本人も終章において部分的に言及しているように、なお残された論点がある。1つは、所得格差の研究において富裕層と都市下層についての綿密な検証はあるが、両者の間(中小資本家、農民、労働者)の分析がほぼ抜けているという点である。もう1つは、より大きな論点であるが、この研究がいかなる目的意識のもとに行われているか、という論点である。本書全体をつうじて、谷沢が日本の現段階の格差問題を内在的に意識しつつ、研究を遂行していることはよく理解できる。その場合に、終章の創業率に関する記述を読むかぎり、戦前の所得格差はむしろ日本社会の活力に貢献した側面をもつのに対して、現時点の格差の拡大は社会活力には貢献しえないという認識が示されている。この点からすれば、全体の研究目的は、社会の活力との関係において格差にかかわる論争を再構成しようとする意欲が示されていることになる。この問題意識あるいは仮説は、現在さまざまなかたちで展開されている社会的公正をめぐる論議からみても興味深いが、こうした見解は戦前期の富裕層の投資行動、都市下層における労働市場行動の分析をつうじてのみでは全面的に説得的とはいえないように思われる。
しかし、谷沢の業績においてはこうした問題点を補って余りあるほど分析内容は充実し、提起されている論点は刺激的である。選考委員会においては、この作品が将来、この種の研究において、かならず参照されるべき業績になるものであると確信し、学術賞として選定した。

(2)社会政策学会奨励賞・中村圭介会員
  授賞の対象となった『公共サービスの決定と自治体労使関係』は、研究のオリジナリティという点においては谷沢のものとも劣らない内容をもっている。これまで研究という鍬の入ることの少なかった公務員分野の労使関係研究に大きな一石を投じた作品として意義が大きい。
本書は全部で4つの章から編成されているが、第1章の「目的と課題」、第6章の「要約と含意」をのぞく、あいだの4章はすべて、個別自治体の労使関係の実態調査をもとにした研究成果となっている。実態調査の対象となった自治体のすべてにおいて、当該自治体の全体あるいは個別部門における人員計画をめぐる労使協議の展開を分析するという手法をとっている。聞き取りおよび関連資料をもとにした分析は、現場とトップの両面を含めた各レベルにおける協議の機構と労使の論点をめぐる実態的内容が時間的経過とともにストーリイとして構成され、それぞれに主として組合側からみた成果とその評価が示されており、この種の調査研究のモデルともいえる内容を示している。
  この調査研究の前提となっているのは、これまで民間企業を中心に組み立てられてきた労使関係、とりわけ労使協議制の研究である。本書全体を通ずる中村のキイワードは「参加」であり、公務労働の現場で進展している「参加」のありようが丹念に追及された労作である。ただむろん、民間企業の労使関係とは異なる点がある。公務員、とくに地方自治体をめぐる労使関係には、各章のケースにも示されているように、選挙によって選出される首長と議会、それに直接的な住民運動を通ずる住民の意向が反映することがそれであり、労使関係の当事者の1つである労働組合も仕事をめぐるルールの形成において、この側面に充分な配慮をおこなう必要がある。今回の研究においては、労働組合側が意思形成をおこなう過程で、行政需要をめぐる住民調査を実施するといったかたちで活動する実態が取り込まれており、公務員をめぐる労使関係の特異性が示されている。その前提としては、第1章において、行政学分野の先行研究のサーベイがおこなわれ、「行政裁量」という論点が導出されていることも魅力的な方向性を示している。このように、本書は研究の手法、実態調査のあり方、成果の発表方法において、精度の高い業績であることは選考委員が一致して認めたところである。
  その反面、若干の問題点を指摘しておく必要がある。まず、調査対象事例には元革新自治体や組合の強い自治体であることによるセレクションバイアスがある。この調査成果を子細に検討すれば、その解答は示されているともいえるが、実は多くの自治体の労働組合では、ここでの事例にみられるような労使関係の域には到達していないのはなぜか、という問題に対して明確な解答がなされているわけではない。それにかかわって、なぜ対象事例としての自治体労働組合が、中村のいう「参加」路線をとるにいたったかについては、直接的な解答として「組合の自覚」あるいは「ユニオンリーダーの先進性」に言及されているが、そうした「自覚」や「先進性」にいたる歴史的経緯が記されていればなお説得的な内容となったであろうと思われる。
こうした論点とは別に、既述のように、自治体労使関係の特質としての住民の介在という重要な論点はあるものの、全体を通ずる手法としては、民間労使関係研究のなかで開発されてきたツールを適用しているのであり、公務員労使関係自体を分析する新たなツールを開発するにまではいたっていないという批判もありうる。以上のように、中村の研究は公務員労使関係をめぐる先駆的実証研究として、歴史的業績となることを確信しつつも、選考委員会としてはこの最後の論点が谷沢の研究成果を優位とみる1つの根拠としている。

(3)社会政策学会奨励賞・矢野久会員
  矢野の作品は、文体の面とかならずしも精密な注が付されていない点からみて、また矢野自身が「歴史を専門にしていない人が理解できる」ように配慮した、と述べていることからも、厳密な意味での学術書とは評価されない可能性がある。しかし、選考委員会としては、内容上すぐれた学術研究に裏打ちされたものと判断して、奨励賞を授賞することとした。
  本研究は、1930年代までで止まることの多かったドイツの労働史を40年代中心に描き直し、クリアな像を提供している。その中心的なテーマは、ナチスの人種的イデオロギーと戦争経済を効率的に運用しなければならないという経済的原理のあいだの矛盾が、ナチス体制のもとでの具体的な政策決定としてどのように転変していったか、という点にある。
この視点から、軍需経済面で、極度の労働力不足状態に悩むナチス体制は、不足労働力の供給を戦時捕虜と占領地などからの強制連行に求めた。不足する労働力の充足は、戦況の進展・深刻化にともない、供給地は西部戦線から東部戦線へ(フランス→ポーランド→ソ連へ)と移行し、調達方法は捕虜の移送から一般人の吸収、さらに強制連行へと変化し、労働力類型も成人から年少者へと変化したことが明らかにされる。たんたんと描かれる移動させられた人の数やそのなかの死亡者の統計は読む者を慄然とさせるほどのものである。そうした外国人の労働規律の維持に経済的インセンティブの付与と同時に強制収容所が利用され、こうした流れのなかにホロコーストにつながるナチスのユダヤ人政策の転変も描かれている。
  ナチスがなぜこのような極端な労働力不足におちいったのか。この点にかんしては、本書の第3章の圧巻ともいえる分析において、その原因が明らかにされている。結論的にいえば、矢野は、ナチス・ドイツが有する女性イデオロギーのために、女性労働力の動員、さらには女性の社会的統合に失敗したことをあげている。第二次大戦後半期においては、女性を含めた総動員体制をしくことになるが、実際にはここでは社会上層の女性たちは対象とされず、それゆえ就労女性たちの不信・不満がいっそう拡大していく「階級」状況までが、ナチ党親衛隊保安部の秘密報告書を原資料として利用しつつ、克明に描かれている。ここでは、外国人労働者を動員しえたために、女性を社会的に統合するという視点にたつ政策を貫徹しなかったという含意が示されることになる。
  終章が示すように、本書は戦時政策としての外国人労働者を描きだすというだけでなく、帝政末期から現代にいたるドイツの外国人労働者の流れを統一的に把握するとともに、日本との比較も試み、さらに戦後補償にかんするドイツ理解の誤りもただすという多面的な目的をもっている。
  本書のこうした試みがすべて達成されているとはいえない。たとえば、外国人労働者の扱いについて、ナチス上層部の政策決定過程が丹念にたどられているのと比較すると、企業・職場レベルでの動向についてはかなりに手薄な分析になっていることに不満が残る。しかし、本書においては、とくにその鮮烈な問題意識と、内部資料を駆使した実証性において、社会政策学会の新しい地平を開くものとして授賞に値するものであることを選考委員会は一致して確認している。

3.総括

 昨年度もそうであったとされるが、今年度についても選考委員会は会員の多くの力作を検討対象とした。検討作業は苦しい一面をともないつつも、学会と会員の学問的精進をみるという点で、楽しいものでもあった。そのなかで、とくにすぐれた業績として3会員を授賞の対象に選びえたことで、選考委員はささやかな満足を覚えている。
  一言付加すれば、現状の実態調査を土台とする中村の業績はむろんのこと、歴史研究としての内容をもつ谷沢、矢野の業績においても、現実の日本のありようについての強烈な問題意識・批判意識が貫かれている。あえて、いまは亡き宇野弘蔵先生流にいえば、学問的真理の追及という研究者の責務と、市民としての現代社会批判への思いの結合が、この3人の業績には結実しているように思われる。それはまた、社会政策学会の良き伝統を反映しているといういう意味で、学会の共同財産としての意義をもち、後進の研究者への範を示しているといっていいのではないだろうか。