社会政策学会賞 選考委員会報告


 

第12回(2005年)学会賞選考報告

2006年6月3日


社会政策学会賞選考委員会
委員長  高木 郁朗
委 員  埋橋 孝文
     上井 喜彦
  木本喜美子
   谷沢 弘毅

はじめに

  かつて、大内力先生に、学問と社会活動の伝記的聞き取りをおこなったさい(『埋火』、2004、御茶の水書房)、経済学の真理の新しさを求めることの困難性に言及されたことがある。要するに、古典として定着した先行研究に、ただの1行でも、後世に残りうるような発見を付け加えることができるならば、経済学者として満足すべきである、という趣旨であった。これは、経済理論の分野についてのことであったが、社会政策学会賞の選考委員を2年間つとめた経験からすれば、社会政策学の分野においてもおなじことがいいうるのではないか、と思う。真摯な努力を反映する社会政策学会会員の作品を読んだあとの感想は、何が、歴史に残る「1行」の発見なのかを見出すことの困難さである。選考委員としては、会員の大量の業績のなかに、そのような1行の見残しがないことを祈るばかりである。以下、今年度の社会政策学会賞についての選考経過および結果を報告する。

1. 選考経過

1)選考方針の確認
  昨年秋の社会政策学会において、埋橋孝文(同志社大学)、上井喜彦(埼玉大学)、木本喜美子(一橋大学)、谷沢弘毅(札幌学院大学)、高木郁朗(日本女子大学)の5人が社会政策学会賞選考委員に選出された。大会後の委員会では高木を委員長に選出し、学会賞選考表彰規程の具体的な運用についての基本方針として前年度の方針を踏襲することを確認した。すなわち、
  ①規程にしたがい、学術賞1名と奨励賞複数名の選定が可能である。この場合、規程における表彰される「会員」という用語法は、作品そのものではなく、すぐれた研究業績を前提として「人」を表彰するという趣旨であると理解する。
  ②規程の第2条にいう「顕著な研究業績」については、学術図書に限定せず、学術雑誌掲載論文も対象とするほか、たとえば、新書あるいは教科書のようなかたちで発表されたものであっても、内容上すぐれた学術研究を含むものであれば審査対象から除外しないものとする。なお共著の場合、ある研究者の執筆部分が書籍等の大半を占める場合には、その研究者の業績として取り扱う。この選定対象に関する方針は、奨励賞についても適用する。
  ③対象作品のリストアップのため、選考委員が各自情報を持ち寄るほか、学会ホームページを通じて自薦・他薦を求めたり、法政大学大原社会問題研究所作成の会員業績リストを参照する。

2)検討対象作品のリストアップ
  この決定にもとづき、選考委員のあいだで、メールをつうじて連絡をとりあい、自薦・他薦を含めて、候補作品をリストアップし、①社会政策学会の会員資格を満たしており、②発表時期が2004年1〜12月である、という表彰規程上の2条件をみたしているかどうかの形式審査をおこなった。その結果として、選考委員会において論議すべき対象作品としては38作品を選定した。なお、学術雑誌掲載論文については、自薦・他薦もなく、選考委員が推薦しうる業績もないものと判断された。
  これらの作品につき、選考対象を絞り込むため、選考委員は、各自の専門に関わらず、検討対象業績を読むことが申し合わされ、4月2日に開かれた選考委員会において、リストにあがったすべての作品について、意見の交換をおこなった。その結果、テーマあるいは問題提起の斬新さ、研究のオリジナリティ、仮説の妥当性、仮説と実証の整合性、社会政策学会員としての研究の範囲、作品としての一貫性の各要素を考慮し、以下の10作品(順不同)に検討対象を限定したうえ、審査委員全員が候補作品についてさらに精読し、最終選考をおこなうことを確認した。
   ①大久保武『日系人の労働市場とエスニシティ−地方工業都市に就労する日系ブラジル人−』御茶の水書房
   ②近藤克則『健康格差社会−何が心と健康を蝕むのか−』医学書院
   ③三富紀敬『欧米のケアワーカー−福祉国家の忘れられた人びと』ミネルヴァ書房
   ④森ます美『日本の性差別賃金−同一価値労働同一賃金原則の可能性−』有斐閣
   ⑤堀江孝司『現代政治と女性政策』勁草書房
   ⑥菅沼隆『被占領期社会福祉分析』ミネルヴァ書房
   ⑦樫原朗『イギリス社会保障の史的研究−20世紀末から21世紀へ−』法律文化社
   ⑧廣沢孝之『フランス「福祉国家」体制の形成』法律文化社
   ⑨水野谷武志『雇用労働者の労働時間と生活時間−国際比較統計とジェンダーの視角から−』御茶の水書房
   ⑩松村高夫『イギリスの鉄道争議と裁判−タフ・ヴェイル判決の労働史−』ミネルヴァ書房

2.選考結果

  5月13日に行われた選考委員会では上記10点から審査対象を②、③、④、⑤、⑥、⑨の6作品に絞り、最終的な審査をおこなった。全員一致で得られた審査の結果は以下のとおりである。
   1. 本年度については、残念ながら学術賞にふさわしい会員の業績はなかった。
   2. 菅沼隆、近藤克則、森ます美の3会員に奨励賞を授賞する。

  選考委員会では、授賞者以外に、とくに三富紀敬会員の業績の扱いについて論議があった。同会員の『欧米のケアワーカー』は、エスピン=アンデルセンの福祉資本主義の3つの類型にもとづき、自由主義レジームとしてのイギリス、アメリカを中心に、ケアワーカー(高齢者介護職と保育職)の労働市場と労働実態を分析し、部分的ながら北欧型を含めて国際比較をおこなったものである。この分野では研究業績の蓄積も多くなく、研究の先駆性と含まれている有益な情報量の多さにおいてすぐれた作品である。しかし、この点は主として文献研究にとどまっていたためと考えられるが、たとえば保育の質の劣悪さについての記述にみられるように、証明としては関連労働者の移動率だけにかたより、問題点の提起と解明が推定にとどまっていること、日本の福祉労働者の労働条件がイギリスなどと比較して相対的に優位であるとする結論の証明が不充分であると考えられること、などなお、追求すべき論点が残されているように思われる。三富会員はすでに社会政策学会奨励賞を受賞しており、学術賞の候補としての道が残されているが、選考委員会としては今回の業績はそれには及ばない、という結論に達した。
  堀江孝司会員の『現代政治と女性政策』は、男女雇用機会均等法や育児休業法などの女性政策をめぐって、(旧)労働省、経営者団体、労働組合といったアクターがどのように行動しあったかを分析した興味深い作品である。しかし、各アクターの意図と経過は政治学の手法を用いて分析されているものの、意図とは異なる結果を含めて、エフェクトの部分がほぼ抜け落ちているという点で社会政策学会奨励賞としては採用しがたいという結論になった。
  水野谷武志会員の『雇用労働者の労働時間と生活時間』は、ジェンダー視点を強調しつつ、マクロ・ミクロの労働・生活時間の統計を活用して、丹念な国際比較をおこない、問題点の抽出を行なった労作である。国際比較のなかでは、不払い残業数値の読み取りが行なわれるなど、労働時間のあり方に対して自らも参加した実態調査にもとづき家政学的手法との接合をはかっているなど、研究手法に新しい試みをしている点で評価できる。その反面、ドイツとの比較での日本の長時間労働の要因についての記述にみられように、従来の見解と大きな違いは感じられず、社会政策学会の賞としては採用しがたいという結論になった。

3)授賞理由

  奨励賞の対象となった3会員の業績については、いずれもすぐれた資質と研究努力を反映したものであるが、以下のようにそれぞれに対して、いくつかの問題点の指摘もおこなわれた。

(菅沼隆)
  授賞対象の業績である『被占領期社会福祉分析』は、敗戦時から(旧)生活保護法の成立・展開までの過程を、主としてアメリカに保管されている公文書類を徹底的に活用し、対日占領政策の側から追求した労作である。その結果、SCAPIN775を中心とした政策文書に示されるアメリカ側の政策意図をニューディール期の公的扶助政策にまでさかのぼるとともに、それを受容した日本側の政策当局、およびその実践にあたる現場レベルの関連を丹念に追求した完成度の高い作品であり、日本の社会福祉の史的研究にあたって長く引用されるであろう。
生活保護制度に関する先行研究においては、占領軍当局が積極的・進歩的福祉政策を立案したのに対して、日本の政策当局がこれを歪曲し、結果としてきわめて不十分な公的保護制度しか実現しえなかったとする記述が多い。これに対して、本書においては、たしかに指令者たる占領軍と指令の受領者である日本の行政当局とのあいだでは意図の乖離がみられたが、占領政策が一貫して福祉主義の理念に沿って展開されたわけではなく、少なくとも結果的には、むしろ敗戦時に日本に残った生活資源を活用するという意味をもつ「自立更生」の原則の適用であり、その意味で占領後の日本の社会不安を除去するという軍政の課題として展開されたのであって、GHQが善意の福祉改革者であったとすることは困難である、というのが実証研究の結論である。しかも無差別原則のもとですすめられた福祉改革は、戦前期の生活困窮者と福祉公務員が関係する「小さな世界」を困窮者の手の届かない全国一律の「大きな世界」に変えた点において、今日の福祉行政にも影響を与えたという構図が示されている。
このように緻密な実証研究とそれにもとづく新しい問題提起は奨励賞として充分な内容を有すると選考委員は一致して判断した。その反面、いまなぜこのような研究が不可欠となっているかについての問題意識が充分に伝わってこないという評価があった。この点に関して、菅沼の別の論文(「被占領期の生活保護運動」、『社会事業史研究』第30号、2002年10月)を援用すれば、被占領期における福祉政策の展開においては、けっきょくのところ立ち遅れたのは運動主体としての生活者であるという視点がある。そのことは本書においても(旧)生活保護法をめぐる国会審議の内容紹介などにおいて部分的に指摘されているものの、必ずしも明示的ではない。またかりに、アメリカ側の意図が実証のとおりであったにしても、政策当局あるいはその後の福祉運動主体がその意図をどのように受け止め、結果として(新)生活保護法の策定やその展開にどのような影響を与えたかは、別の論点として追求されるべきことであると考えられる。このことを含め、概していえば、アメリカ側の緻密な実証研究の反面、日本国内の受け止め方や実際の政策展開については、先行研究への配慮もあってか、やや手薄であったという点で不満が残るというのが、選考委員の一致した意見であった。

(近藤克則)
  授賞対象の業績である『健康格差社会』は、その分量、対象、とりあげられている論点の歴史的性格、対象としている読者層などいくつかの点で菅沼業績とは対照的なものであり、専門家を読者対象とする作品をもって研究業績とするならば、その範囲を逸脱する可能性があるが、そのもっている現代的意義とこのテーマの今後の発展性を考慮に入れ、選考委員会の方針②を適用し、あえて奨励賞に選定した。
  たとえば、OECDの社会政策指標の国際比較である”Society at a Glance”に照らしても、「健康」は、社会政策にかかわるもっとも重要なテーマである。したがって、今日、社会的に大きな問題となっている格差の拡大やいわゆる二極化を論議するうえでも、健康をテーマとしてとりあげる必要がある。近藤によれば、しかし、「健康における不平等」はこれまで充分に検討されてこなかった分野であり、その点で先駆的な意義を有すると判断しうる。
  本研究において活用されているのが、健康の社会的な決定因子を明らかにする社会疫学の手法である。たとえば、心理的要因は、健康に対して大きな影響をおよぼすことは経験的に知られているが、そうした心理的要因に学歴・所得・職業といった外的要因が大きくかかわるということを立証しようというのが、社会疫学の手法である。外的要因のなかではとくに所得格差とともに、いわゆる人と人とのネットワークによって構成されるソーシャルキャピタルが重視されている。近藤会員は、部分的ながら自らこうした社会疫学的関係を実証的に検討しており、またプライマリーケアに携わる臨床医としての位置ももっていることから、こうした関連をミクロレベルでの治療のレベルにまで応用しようという実践的なあり方まで提示しているという点で、問題意識の鮮明さにおいてきわだっているという特徴がある。
  しかしながら、本業績は、研究としては、まだ最初のステップをふみだした段階にあり、完成の域にはいたっていない。たしかに部分的には、自らの調査研究も含め、内外でのケースが示されているとはいえ、断片的ないしは恣意的であって、たとえば、所得格差にみられるような外的要因の健康とのかかわりにおいても、おそらく医療制度や社会保険など制度的な要素を含めた、いくつかの論理的段階が検証されなければならないであろう。ソーシャルキャピタルなど、本研究において活用されている重要な概念についても、なお検討の余地は小さくない。このような本業績になお欠ける点は、今後の研究の発展のための根拠とされるものであるともいえるし、さまざまなかたちでの共同研究の素材をなす可能性も有しているといえよう。

(森ます美)
  授賞対象業績である『日本の性差別賃金』は、その問題意識、これまで森会員を中心に展開されてきた研究の焦点、問題解決の手法において、「同一価値労働同一賃金原則」の視点で、みごとなまでに一貫した作品となっていることがこの業績の魅力である。
  研究の基本的問題意識は、賃金におけるジェンダー差別を克服しているためには、年功賃金制度にみられるような家族賃金イデオロギー、賃金決定の属人性、ジェンダーバイアスを有する人事考課を排して、職種・職務分析にもとづく賃金決定制度をつくりあげるという内容を有する同一価値労働同一賃金原則を日本において適用していくことが、政府、労働組合、女性運動の課題である、という点である。またその実現可能性が実際に各種のかたちで現れていることを研究の成果として示すことにも大きな意味が与えられている。この業績においては、この視点にもとづき、主として商社における企業の賃金管理が実証的に検討されるが、そのなかで、1990年代以降展開された「新・日本的経営」戦略のもとにおける性差別管理制度の強化が具体的に立証される一方、職務評価にもとづく同一価値労働同一賃金への展開の可能性が、諸外国の事例、および京ガス訴訟の裁判事例をつうじて確認されることになる。
  この業績の特徴は、たとえば性別職域分離など外部および内部の労働市場条件にあるというのではなく,性差別賃金の根源が企業の人事・賃金制度にあり、性差別賃金と人事・賃金制度の内的関連を実証する、という点にある。このような問題意識の明確さとそれにもとづく実証の営為が奨励賞授賞の根拠となっているが、同時に、まさにその点に、この研究への疑問が発生する。すなわち、仮説のレベルにおいては、労働市場の分断と切り離して企業の賃金制度を論議することができるのかどうか、実証のレベルにおいては、ホワイトカラーの研究において発見された事実がそのまま性差別賃金一般に拡大できるのかどうか、政策課題的には本書の論理的結論は同一価値労働同一賃金の規範の確立に帰着し、それは主として訴訟による解決になるのであるが、労働をめぐるルールの形成としての労使関係はそのように考えてよいのか、といった論点である。また、歴史的には1960年代の職務給論争の総括、とりわけこの提起が実のある結果をもたらさなかった原因についての検討なしに、ジェンダー視点を加えることによって、職務給が新しいこととして提起されることへの疑問もある。
  このような疑問は、会員のなかでさかんになっている賃金をめぐる研究・論議にもかかわる論点であり、その意味ではこの授賞は、男女性差別をめぐる研究のみではなく、変動期にある日本の賃金をめぐる研究の発展のための一里塚としての意義をもつものとして理解していただけることを選考委員会としては願っている。



おわりに

  歴史に残りうる「一行」をもった研究成果を選定するということは、玉石混交の山のなかで、ただ一個の石をみいだすという作業に似ている。悪戦苦闘をしつつも、この作業を徒労感を残さずになし終えるのは容易ではない。結果論になるが、今回の奨励賞の対象となったものは、受賞者本人のみならず、社会政策学会の共同作業としても、磨けば玉になりうる素材の発見をおこなったということになるのではないか、と考えている。学問の世界において、磨くということは論争が発展するということにほかならない。選考委員会としては、この3点がそれぞれふみ台となって、現代社会を読み解き、より良き社会システムを構築する基盤としての社会政策関連の学問分野での論議が発展していくことを期待したい。