社会政策学会賞 選考委員会報告




 

第9回(2002年)学会賞

選考経過および結果報告


  2002年はわが学会に属する研究者の著作がとりわけ不作の年であった。出版事情が一段と困難になったためか、この年に公刊された会員の単独著書はすべてをあわせても15冊を超えない。
  そのうえ、制度上、会員歴3年未満の会員の著作は選考対象から除外しなければならない。それに、以下の点は各年の選考委員会の裁量に属するであろうが、すでに学術賞を受けた会員の著作、良質のものでも入門書・概説書の性格が濃い書物、資料提供機関などの事情で公刊が難しい研究報告書、さらに小規模な論文(便宜的ながら400字原稿用紙に換算しておよそ100枚以下ほどの論文)などは、やはり選考対象外とすることが妥当であろう。こうして「候補作品」はさらに限定されてくる。以上の制約の上で、選考委員会はまず、学会委託・大原社研作成の会員業績一覧、わずかながら寄せられた推薦、選考委員の第一次討論などによって、次の4作を第二次選考対象、すなわち受賞候補作(アルファベット順)に選び、ついで全員がこれらをくわしく検討することにした。

 小笠原浩一 『労働外交──戦後冷戦期における国際労働連携』 ミネルヴァ書房
 櫻井 純理 『何がサラリーマンを駆りたてるのか』 学文社
 櫻井 幸男 『現代イギリス経済と労働市場の変容──サッチャーからブレアへ』 青木書店
 中野  聡 『EU社会政策と市場経済──域内企業における情報・協議制度の形成』 創土社

 最終選考の結果は以下の通りである。

1) 2002年の「学術賞」は該当作なしとする。
 考えうる評価基準──たとえば、問題意識の鮮明さ・新鮮さ、一著作としての構成の緊 密さや体系性、実態調査・歴史的考察・文献渉猟・論理展開を通じて行われる論証と叙述の説得性などからみて、圧倒的な印象を与える作品は遺憾ながら見あたらなかったからである。

2) 小笠原浩一『労働外交──戦後冷戦体制下における国際労働連携』を「奨励賞」とする。
本書は、戦後冷戦期における国際自由労連、なかんずくゼンセン同盟によるアジアの繊維産業の組織化を克明に追う歴史的研究。この研究が繊維産業の現場労働者の生活や労働運動の全体にとってもつ意味については、なお隔靴掻痒の感じが残る。とはいえ、本書は日本労働運動の国際連帯という総じて未開拓であった分野に本格的に鍬入れした研究であり、このテーマ設定は、たとえば先進国による「公正労働基準」の主張と途上国の産業発展との緊張関係などを考えさせもして、この経済グローバル化の時代にとってあらためて意義深い。プロセスを追う眼は、「反共主義」の枠内ではあれ、うちに欧州vs.アメリカ、欧米vs.アジアの利害対立をはらんで複眼的でもある。また、資料渉猟は広範で丁寧であり、ときにトリビアルの印象を与えるまでに細部にわたる。そんな特質を総合的に評価して受賞としたものである。

3) 受賞に及ばなかった他の候補作に関して簡単にコメントする。
櫻井純理の著書:日本のサラリーマンの働きすぎの背景を探る本書は、候補作中もっともクリアーで「おもしろく」、チクセントミハイのいう「フロー労働」に従業員を誘う日本労務管理工夫の指摘など、新鮮で学際的なアプローチも見られるとの評価を得た。 しかし反面、アカデミックな見地からすれば、諸説の扱い方や資料の読み方がときに一面的であり、後半の調査についても方法の周到さが今ひとつであって、従来の受賞作とくらべると「軽い」感じはまぬかれず、今後の研究に期待するところが大きい。

 櫻井幸男の著書:イギリス経済の80年代以降の「復調」を二つの資本蓄積様式、雇用のフレキシビリティ、労働運動の後退を軸に分析する本書は、敬服すべき地道な作業で はあれ、あまりにも統計数値の読みとり(数値を把握する年次にも不揃いが目立つ)に終始して、分析が数値の裏の実態に及ばず、平板な印象を受ける。イギリスの職場における機能的フレキシビリティの進展、かつては強靱であった労働組合規制の後退、労働市場政策の動向などに関する従来の邦文の研究蓄積が吸収されていないことも問題点としてあげられよう。

中野聡の著書:およそ20年余にわたる欧州ワークスカウンシルの制度化を、一方では新自由主義の台頭、他方では各国労使関係の伝統とのせめぎあいのなかで追跡するという本書のテーマは、新鮮で魅力的である。日本人としては未開拓の研究分野にEU指令案の審議過程にも及ぶ資料を用いて挑んだ意義もある。けれども、その追跡はEUのオフィシアルな文書と制度の紹介で満たされ、それらが各国の現実の労働問題や労使関係に及ぼすインパクト(たとえばワークスカウンシルの制度化と、従来のイギリスなどにみられる職場レベルの団体交渉のゆくえとの関係など)は、ほとんど考察されていないゆえに、分析は立体性を欠き、重視されるはずであった制度化をめぐる当事者間の「論争」もつっこみ不足に終わっている。

2003年5月
  社会政策学会賞選考委員
           熊沢  誠(委員長)
           伊藤 セツ
           田中 洋子
           中川  清
           三富 紀敬