社会政策学会賞 選考委員会報告


 

第17回(2010年)学会賞受賞作

学術賞
  清水耕一『労働時間の政治経済学』、名古屋大学出版会
奨励賞
  猪飼周平『病院の世紀の理論』、有斐閣
  菊池いづみ『家族介護への現金支払い』、公職研


第17回(2010年)学会賞選考報告

社会政策学会賞選考委員会

委員長 森建資
委員  伍賀一道、三重野卓、室住眞麻子、佐藤忍

1 選考経過

 社会政策学会秋季大会(愛媛大学)で開かれた幹事会で森と伍賀の2名が新規に選考委員となった。2010年10月31日にこれまでの委員と合わせた5名の委員が集まって第1回選考委員会を開催し、互選によって森建資を委員長に選出した。この委員会では前委員長の遠藤公嗣から委員会の活動についての説明や前年度の選考基準の紹介があり、委員会としては基本的には前年度の選考基準にのっとって運営していくことにした。すなわち、第1に単著であること、第2に奨励賞は若手を対象とするが、「若手」の基準は年齢よりも研究歴におくこと、第3に学術賞は2点を上限とする、という3点を選考基準にして選考を進めることにした。また前年度の経験を参考にして候補作リストを作成することにした。

 ニューズレターと学会ホームページで学会賞候補の推薦(他薦、自薦)を募ったところ、自薦5名、他薦2名の推薦があった。ただし、自薦のうちの1名は学会在籍3年以上という条件を満たしていなかったため、本人に連絡して辞退していただいた。

 2011年1月にワールドプラニングに学会在籍3年以上の会員名簿の作成を依頼した。条件に合致した会員は963名であった。それをもとにして大型書店のデータベースを用いて2010年1月から12月までの間に刊行された会員の単著57点を選び、その名簿を各委員に送付した。委員間のメイルのやり取りで実務書、教科書といった選考の対象にならないと考えられる書物を除いて26点まで絞った。

 2011年2月20日に東京大学で開催した第2回選考委員会では、26点の作品について一点ずつ審査を行い、8点については最終審査にかけることで了承し、別の4点については最終審査にかけるかどうかを更に検討することにした。また選考委員である三重野より自著について選考を辞退したい旨申し出があった。最終選考に残るかどうか決まらなかった4名についてはメイルのやり取りで決めることが難しいと分かったので、第3回の選考委員会で判断することにした。また最終選考に残すことにした8名中1名につき疑問が出されたのでそれについても第3回選考委員会で判断することにした。

 4月23日開催(東京大学)の第3回選考委員会では最終選考に残るかどうか決定していなかった4名について議論した結果、そのうちの1名を最終選考に残すことにした。また第2回委員会で最終選考リストに挙がったものの異論があった1名については最終選考の対象者としないことにした。この結果、最終選考に残った作品は以下である(以下敬称略)。

 学術賞候補作5点

  大塚忠『ドイツの社会経済的産業基盤』、関西大学出版部
  清水耕一『労働時間の政治経済学』、名古屋大学出版会
  野田知彦『雇用保障の経済分析』、ミネルヴァ書房
  三富紀敬『欧米の介護保障と介護者支援』、ミネルヴァ書房
  山田知子『大都市高齢者層の貧困・生活問題の創出過程』、学術出版会

 奨励賞候補作  

  猪飼周平『病院の世紀の理論』、有斐閣
  小野沢あかね『近代日本社会と公娼制度』、吉川弘文館
  菊池いづみ『家族介護への現金支払い』、公職研

 また次の作品は最終選考には残らなかったものの、学術的に意義のある作品として議論の対象となった。岩井浩『雇用・失業指標と不安定就業の研究』、関西大学出版部、早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984−85年)』、御茶ノ水書房 

 第3回選考委員会は上記の最終選考に残った上記の作品につき重釘を重ねた結果、以下の結論に達した。

 学術賞
  清水耕一『労働時間の政治経済学』、名古屋大学出版会

 奨励賞
  猪飼周平『病院の世紀の理論』、有斐閣
  菊池いづみ『家族介護への現金支払い』、公職研

2 学会賞選考理由

学術賞 清水耕一『労働時間の政治経済学』、名古屋大学出版会
 本書は90年代から2000年代のフランスで法定労働時間をめぐってどのような政策が展開したのかを解明した作品である。1970年代後半からフランスは高い失業率、特に若者の失業問題に悩まされ、雇用政策が政治上の重大なイッシュウになった。こうした中で労働時間を短縮する一方で、労働時間のフレキシブル化を図り、しかも企業レベルで労使交渉を活発化させる政策が提起される。こうして労働時間が問題となるなかで、パート労働者の雇用促進政策やワークシェアリング政策が出され、続いて1998年には35時間労働制を推進する法が、さらには2000年にこれを補完する法ができる。オブリー法と呼ばれているこれらの法は、労働時間の柔軟な運用を可能にするという点では企業側にもメリットがあったし、労使交渉を促進することで協調的労使関係を作り上げようとする狙いもあった。ところが、こうした動きに対抗する反35時間労働法運動が展開し、2007年の法によって35時間制を法的には無力化した。だがオブリー法によって労働時間のフレキシブル化が可能になり労働時間のモジュール化が進んだため、自動車産業などでは、2007年法が制定されたにもかかわらず、企業レベルの労使関係の助けを借りて35時間労働制は定着していったのである。このように、筆者は労働時間をめぐる法の展開を政治や経済の動きをにらみながら詳細に分析している。

 本書が注目に値するのは、賃金に比べてあまり注目されてこなかった労働時間の持つ重要性を浮き彫りにしたことである。著者は、労働時間問題が国全体の雇用問題とつながりを持ち、それゆえ政治上の問題となる一方で、個別の企業では生産のあり方をも左右するといったマクロ、ミクロの両面にわたる問題であったことを見事に描き出したのである。 

 本書は制度の展開を克明に追い、しかも自動車産業での実態を明らかにするといった点で当時の労働時間問題に迫る迫力のある作品であるが、「一定の社会関係及び労使関係、そして働き方と生き方が含意されている」と著者がいう労働時間制度の解明という点でみると、法制度の展開の叙述に終始してやや広がりに欠けるという感が否めない。また日本への示唆は物足りないように思われる。本書に続いて現代の問題を労働時間という切り口で解明する研究が生まれることを期待したい。

奨励賞  猪飼周平『病院の世紀の理論』 有斐閣
 本書は20世紀初頭以来世界各国で感染症に対する治療医学の有効性が社会に広く知られ病院が医療の中核に位置するようになったものの、そうした病院の地位が高齢者の生活習慣病が問題となる20世紀の終わりには低下しつつあることに注目し、病院のあり方から20世紀の各国の医療供給システムを説明しようとしている。世界の医療制度は、プライマリケア担当の一般医と、セカンダリケア担当の専門医に分かれたイギリス型(身分原理に立脚)とプライマリケアを専門医が担うアメリカ型と日本型に大別され、後者はさらにプライマリケアを担当する専門医が特定病院でセカンダリケアをも行うアメリカ型(開放原理)と、プライマリケアを行う開業医が病院を持ってセカンダリケアを行う日本型(所有原理)のどれかに属していると著者は主張する。そしてこうした見取り図を前提にして日本の開業医制度が成立する過程を分析し、さらにはこうした病院中心の医療制度が崩れ、包括ケアといった新たな医療制度が登場していることを明らかにする。

 本書は、大きな図柄を描く問題提起的な書物で、理論的であると同時に歴史分析の手続きを踏むという理論と歴史の往還の書であるとともに、それを実践的課題に結び付けようとする点が評価される。なぜイギリスや日本で同時的に病院への要請が高まったのかは不明である点などは今後の解明が待たれる。また本書の方法に関して、各国の医療制度をイギリス型やアメリカ型と決めつけることが妥当なのか、あるいはプライマリケア/セカンダリケアの分類の有効性などといった疑問が出された。また病院の世紀の終焉としていわれる包括的ケアシステムの必要といった指摘はさほど目新しいものでなく、終焉に関してもっとオリジナリティに溢れた分析を望む意見もあった。

奨励賞  菊池いづみ 『家族介護への現金支払い』 公職研
 本書は公的介護保険制度創設時に重大な争点となった高齢者介護における現金支払いの問題を取り上げた実証的な研究である。日本で家族介護の介護者、要介護者に対する現金支払いを国の政策と市町村レベルでの政策の両面から調査しているが、現金給付を支給しないという国の制度方針とは異なって多様な現金給付の支給を選択した市町村の実態を解明した点が特徴的である。国の政策形成に関しては介護法案提出の際に公述人となった市町村長の多くが現金給付を求めた経緯や家族ヘルパーや家族介護慰労金の考えが出された経緯が明らかにされる。また地方自治体レベルでの実態としては、地方単独事業介護手当などの展開を明らかにした後に、野田市での現金給付の試みと園部町での家族ヘルパーの実態が解明されている。とくに、野田市では市民の7割が現金給付を支持していることや、園部町で有償労働としての家族介護が良好な介護関係を作ることが明らかになった点は今後の政策を考える上でも重要な指摘であると思われる。

 本書は、やるべきことをきちんとやった極めて正統的な研究で、しかも現在の大きな問題に取り組んでいる点で優れており、著者の研究歴を考えれば十分に奨励賞に値する。本書では外国で行われているが日本では行われていないものとして現金給付に着目しており、そこから貴重な発見をしている。だが、それぞれの国の家族の特性を踏まえれば、外国にあって日本にないといった見方にとどまることなく、さらには日本の家族介護の実態の中から家族介護と親和的な制度としてどのようなものがあり得るか探ってみる作業が必要になるのではないか。また地方自治体による現金給付が次第に消滅に向かっている中で、著者が現金支払いの今後の可能性についてあまり踏み込んで考察していない点にも不満が残る。

3 候補作について 

 候補作も力作ぞろいであったが、様々な理由で選外となった。これらの作品についても簡単に触れておきたい。以下学術賞候補、奨励賞候補の別なく、あいうえお順に掲載する。

大塚忠 『ドイツの社会経済的産業基盤』 関西大学出版部
 本書は、本書は、ドイツの職業訓練制度、生産組織、報酬制度それぞれの変遷について独自のインタビューも踏まえて詳細にサーベイをおこなった作品である。産業の基盤となっている職業訓練制度、職場の生産システム、報酬制度に焦点を当てて、ドイツの製造業、とくに自動車産業が日本のリーン生産方式にどのような対応をとったのかを明らかにした作品である。職業訓練制度での職業志向からプロセス志向への変化、生産システムでの自律的なグループ労働の広がり、報酬制度での成果主義の導入など興味深い指摘がなされている。広く問題をとらえ、日本の生産システムを理解する際にも参照されるべき枠組みを提示した点が評価されるが、研究動向の紹介が多い分、著者独自のドイツの実態に関する客観的な分析が少なく、しかも論旨が難渋をきわめている点は惜しまれる。

小野沢あかね 『近代日本社会と公娼制度』 吉川弘文館
 本書は、民衆生活や意識の変化の中に公娼制度批判意識の形成を探る民衆史的研究と国際関係的側面からの日本の公娼制度の分析を接合させた学問的完成度の高い作品で、まず勤倹節約といった政府公認のイデオロギーの論理を逆手にとって公娼制度批判を行った廃娼運動が分析され、次いで国際連盟での人身売買禁止に対抗して公娼制度を守ろうとする内務省の運動が明らかにされる。そして最後に戦時中の花柳界や純潔運動が解明される。本書は売春制度の公認にこだわった国家の姿や親権者が娘を売り渡すに等しい行為を行う日本の家族制度のあり方を浮かび上がらせるもので、とくに国際連盟と内務省の動きを明らかにした部分はオリジナリティが高いとおもわれる。人身売買と雇用との違いなど労働研究にも新たな問題を投げかけているが、民衆運動からとらえた公娼制度と国際関係史からとらえた公娼制度の関連をより明確にすることがぞまれる、あるいは社会政策研究とのつながりがはっきりしていないなどの理由で惜しくも選外となった。

野田知彦 『雇用保障の経済分析』 ミネルヴァ書房
 本書は労働組合が雇用保障に及ぼした影響を統計分析によって明らかにした事実発見の書である。大企業は労働組合の組織が進んでいて、組合がある企業とない企業の差が明らかにならないため、中小企業のデータを用いて組合企業の方が無組合企業よりも雇用調整速度が遅く企業特殊的技能を重視していることを検証し、ついで、赤字か赤字が連続した場合の雇用調整が解明される。最後に1997年のアジア金融危機後の日本企業の雇用調整の在り方が従来とは違ったことが明らかになる。本書は様々なパネルデータを用い、計量分析も先端的で手堅く、1997年以降の雇用調整の変化の解明などの事実発見においても優れている。ただ組合企業での雇用調整の遅れをもって組合が雇用を守っているというためには労使関係の内実と解雇規制の質に踏み込んで調べなければならないのではないか、また組合企業の労使関係が長期にわたる信頼・協力関係についてもその内実を問うべきではないかという指摘がなされた。大企業の労使関係についていわれてきた通説をそのまま中小企業にも適用している点、労働組合のとらえ方、組合の交渉力を上部団体に属しているかどうかで測っている点などについても疑問が出され、惜しくも選外となった。

三富紀敬 『欧米の介護保障と介護者支援』 ミネルヴァ書房
 本書は、日本の介護研究がこれまで関心を寄せてこなかった「介護者支援」に関して光をあてている。ヨーロッパの家族政策が介護者も含んでいることやアメリカの州・連邦政府が介護の継続や施設入居防止のために介護者支援を行っている実態が明らかにされる。仕事と介護の両立支援策や、介護を担う子供の問題が紹介されている点など社会政策に関心があるものが学ぶべき点が多々あるし、介護者支援の政策体系を研究領域に含めることで従来の福祉国家の類型とは異なる区分が可能であることを示唆してもいる。ただ、批判的文献レビューといった性格が強く、外国ではその点で進んでいるのに日本は遅れているといった議論では十分ではないのではないといった疑問がだされたし、日本についての丹念な分析を望む声もあった。また介護者を忘れてしまった日本の研究が何に起因しているのか、また社会的排除の規模と比率の測定がなぜ日本でなされてこなかったのかを考察してほしかったという指摘もなされた。

山田知子 『大都市高齢者層の貧困・生活問題の創出過程』、学術出版会
 本書は、東京都内にある養護老人ホーム入居者の生活歴を丹念に追跡するなかで、大都市に住む高齢者の貧困および生活問題がどのような過程を経て創出されるのか、そのメカニズムと要因を考察し、青年期および壮年期の不安定な就労や家族関係が高齢期に引き継がれている実態を明らかにしている。日本の場合、高齢者への社会的関心が介護保険制度による介護サービスに偏る傾向にある中で、「居住不安定」に視点をおき、高齢者の貧困を議論している本書は極めて有意義である。高齢期に貧困・生活問題が創出される過程を幼少・青年期、壮年期、高齢期に類型化し、養護老人ホーム入居者の生活歴調査を通じて、男性では人生のスタートの段階で高齢者の生活が決定され、壮年期の疾病・障害と婚姻関係の不安定がそれに追い打ちをかけていること、女性入居者では生家が経済的にゆとりがあって学歴も高い人がある程度いる点などを明らかにした。このようなライフステージに着目して貧困分析を行った本書は評価できるものであるが、はたして問題を中心と周辺という二分法でとらえられのか、あるいは新しい発見という点では弱いのではないかといった疑問が出された。統計資料の分析が二次データの紹介に終わっているという指摘もなされた。また社会的排除についてイギリスの研究を紹介しているが、日本の高齢者に対する社会的排除についてほとんど言及していない点は気がかりだとの意見が出された。

4 全体の印象

 受賞作の一つは選考委員の所属する複数の大学の図書館に入っていなかった。こうした作品を取り上げることができたのはとてもうれしい。著者はやや遅くに学問研究にすすまれたと思われるが、こうした着実な学問研究を行ったことに敬意を表したい。残りの受賞作も、いずれもオリジナルな作品で当然ながら手間暇を惜しまなかったのは見事である。選外となった作品も読みごたえがあった。ただ、候補作や候補作にならなかった書物のなかに、やや読みにくい作品が散見されたのは惜しまれる。高い志を持って研究に臨み、優れた内容を持ちながらも、書物としては読みにくいというのはいかにも残念である。

以上

追記

 三富会員の書物を誤って書きました。同会員にご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたし、訂正します(2011/06/06)。

 野田知彦会員の書物に誤記がありました。お詫びし、訂正いたします(2011/06/09)。